湯灌の歴史

湯灌は現代において死者の身体を清潔にし、同時に死後の処置と死化粧を施して見た目を整えることや、死後変化に拮抗することを期待して行われることが多いように思いますが、湯灌が持つ意味や価値は見た目のことだけではありません。

湯灌の歴史は古く、仏教の影響を受け広がりました。

特に奈良時代の聖(ひじり)と言われた半僧半俗の宗教者や在家信者である念仏者らによって、死後の救済思想とともに北は当時の蝦夷地から南は台湾に近い与那国島まで全国に広がっていったことが民俗学的にも研究されています。

一方仏教が入ってくる前から在来思想として存在した神道では、死の穢れを忌み、禊祓(みそぎはらえ)をして取り除くものという考え方があります。

この神道で奏上される祓詞(はらえことば)にも伊弉諾の命(いざなぎのみこと)が亡くなった妻を追いかけて黄泉の国を訪れ、そこで死の穢れを浴びた後海水で身を清めたことが記されています。

このように元々日本には水を浴びて精神を浄化するという思考の方向性があったところへ後に仏教が渡来し、俗人から僧になる際に行われる儀式の灌頂(かんじょう)という作法が伝わりました。

灌頂の儀では頭に水を灌ぐという行為をしますが、これが人が亡くなった際のこの世での滅罪と魂の救済という目的で葬送でも故人に同じような行いをするようになり、死後の救いを求める民衆に受け入れられたと考えられます。